暮らしの。こと。モノ。きもち。

~なにものでもない わたしがここにいる~

おばあちゃんが還りました。

f:id:kurashinokatati:20170421140148j:plain

先日 16日になってすぐ、わたしの祖母が天国へ逝きました。
数えで100歳。長生きをしてくれましたが、いなくなったとは思えない感じです。
わたしは外孫だったので、そんなにしょっちゅう関わりがあったわけではありませんが、なんだかいてくれてて当たり前な感覚でした。
魂の世界へ還って行ったんだ。。と分かっていても涙が止まりませんでした。

でも、亡くなった祖母の姿を見て思ったのは
「やっぱり、この身体は借りものなんだなぁ」ということ。
おかしな表現かも知れないけれど、祖母の姿を見て
「入れものだけになってしまった」という感覚になりました。

生まれてくるときもひとりで、死んでいくときもひとり。
ホンマやなぁ~と。。
そして、富も名誉も何も彼の世には持って行けない。只々、徳だけを持って行けるんだなぁ。。と思いました。

おばあちゃんの口ぐせは「南無阿彌陀仏」でした。
わたしが子どもの頃、おばあちゃんのところへ泊まりに行くと、毎朝 東の(太陽の昇る)方を向いて拝んでいるおばあちゃんを見ました。
わたしも、見よう見真似で一緒に手を合わせていたのを覚えています。
お葬式の日、お寺さんも「○○して欲しいとか、こうなって欲しいとか、そんな欲はなくて、ただ自然に“南無阿彌陀仏”と口から出てくるおばあちゃんでした。」とおっしゃいました。
その通りのおばあちゃんでした。

おばあちゃんの静かに横たわる姿を見て、魂だけが還って行くのなら、わたしも キレイで美しい魂で還りたいと思いました。
生きていたらいろんな感情に振り回されたり、物質的なことに目がいってしまって頭でっかちになってしまったりすることが、わたしにはよくあります。
欲にかられてしまうこともある。
生きている以上、それはある程度 仕方ないことかも知れない。
それが悪いということではないけれど、なるべく心静かに穏やかに、いずれ わたしも魂の世界へ還るのだから、それはいつか分からないけれど決まってはいることだから。
此の世にいる人みぃ~んな遅かれ早かれ還っていく人ばかりで、それは、あがきようのないことなんだから。
それならば、特別なことなんてしなくても、此の世で只々笑顔でありがたく暮らしていこう、感謝して生きていこう、その時々の【今】を受け容れて大切に生きていこう、と思いました。

そうは言っても、いろ~んな感情に襲われることもあるんですけど。
それでも、今までより静かに自分のことを見つめられるような気がします。
おばあちゃん、ありがとう♡
おばあちゃんのおかげで、またたくさんの気づきがありました。

わたしも、この身体で楽しんでいきますね。
そして、身体の中にいる “わたし” が輝けるような生き方をしますね。