暮らしの。こと。モノ。きもち。

~なにものでもない わたしがここにいる~

時は金なり.....っていうけれど ②

f:id:kurashinokatati:20170515143609j:plain

さて、前回の続きです。

 

 

kurashinokatati.hatenablog.jp

 

時間って、一体何でしょう?
時間は誰にでも平等にあるけれど、人によって全く違う使い方ができて、どうとでも変化させられるもの。
目には見えなくて、使い方の定義もなくて。。
いや、一応 「時間は、これこれこういう風に使ったら有効ですよ。」とか、「するべきことがあれば計画的に取り組みましょう。そのためにはウンヌンカンヌン...」みたいな話はよく聞くけれど。
でも、結局は全て自分の元でしか動いてなくて、自分の流れでしか流れていないという、なんとも掴みどころのないモノに、わたしは感じます。
(人に振り回される時間、というのもあるかも知れませんが、それでも “振り回されない” という選択もできるはず。結局は、自分の選んだようにしか時間は流れないんじゃないのかなぁ~...と思うのです。)

バレットジャーナルをやってみて、ものすごく段取り上手になった気がしました。
よく、時間を有意義に使う人は『段取りよく物事をこなし、すき間時間の有効活用も上手にできる人』って言われますが、まさしく自分もそうなったかのような錯覚がありました。

。。。。そう、錯覚です。錯覚(* ̄∇ ̄)ノ

1ヶ月、1週間、明後日、明日、そして今日のこと。
先を見通して、するべきことや、やりたいことなどを逆算して予定を立てていく。
そうすることで時間の無駄を省き、家のことや仕事のこと、ブライベートの時間も余裕を持って過ごせるように・・・なった、と思っていたのですが(。>д<)

実際は.....段々こなしているうちに窮屈に感じるようになりました。
こう、なんというか、時間を管理しているつもりが、いつの間にか時間に管理されている感が否めなくなってきて。
時間に閉じ込められてるっていうか...枠の中に押し込められてしまってるっていうか。
「あれ?こんなはずではなかったぞ?」みたいな( ̄▽ ̄;)

すごくスマートに物事を進めていけてはいたのですが、ある時からプツン。。と途切れてしまいました。

結局、時間って自由なもの。
アレコレと計画を立ててこなしていくのも、もちろん素晴らしいことなのですが。。

今のわたしは無計画な毎日です(*≧艸≦*)
無計画っていうか、大きくざっくりとした目的はあるけれど、事細かい段取りは何もないって感じです。
ざっくりと先を見据えていれば、やるべきことはやるべき時にタイミングよくできるように巡ってくる感覚です。
それが、計画を綿密に立ててしまうと計画通りにばかり意識がいってタイミングも何もあったものじゃない、ということが分かりました。

わたしは仕事もしているので、ある程度の計画も大切なのですが、これもバレットジャーナルで管理をしすぎると余計に締め付けられて自由度が下がってしまい、仕事の時間のわりには出来高は反比例...みたいなことになってしまいました;;

今、バレットジャーナルを辞めて、いろんなことにざっくりとした計画しか立てなくなって、時間という枠を外すようになったら、逆に とてもいい感じに時間が流れるようになりました。

でも、こうなって思うことは.......
こうして、今 うまく時間が流れているのも一度はバレットジャーナルを経験したからじゃないのかな~?
あの綿密な毎日があったから、わたしの身体のどこかにそれが染み込んでいて、こうしてほぼ無計画になっても、わたしの身体のどこかが反応していて、ざっくりとした目的に進んでいく力になっているんじゃないかしらん?
なんてふうにも思うんです。だから、いい経験したなぁ~、いいことを知ったなぁ~♡とは思っています^^

ただ【時は金なり】っていうけれど、結局はその人それぞれの過ごしようだし、止めようがなくて流れているものだから。
時間の使い方は、その人の生き様で命の使い方で。
そして、創造していけるものだから...
だから【金】というよりは【芸術的】に思えたりもするのですが・・・。

限りある時間をどんな風に使うかは、結局 どんな風に生きていくか とイコールの関係なんじゃないのかな~?と思います。
だったら、わたしは計画性よりも、その時その時の感覚や気持ちを大切に、やりたいことや、やるべきこと、しなくてはいけないことのバランスを見ながら、創造的に暮らしていきたいなぁ~♡と。
【時は金なり】より【時って芸術的】そんなふうに感じています(*^▽^*)