時は金なり.....っていうけれど ②
さて、前回の続きです。
時間って、一体何でしょう?
時間は誰にでも平等にあるけれど、人によって全く違う使い方ができて、どうとでも変化させられるもの。
目には見えなくて、使い方の定義もなくて。。
いや、一応 「時間は、これこれこういう風に使ったら有効ですよ。」とか、「するべきことがあれば計画的に取り組みましょう。そのためにはウンヌンカンヌン...」みたいな話はよく聞くけれど。
でも、結局は全て自分の元でしか動いてなくて、自分の流れでしか流れていないという、なんとも掴みどころのないモノに、わたしは感じます。
(人に振り回される時間、というのもあるかも知れませんが、それでも “振り回されない” という選択もできるはず。結局は、自分の選んだようにしか時間は流れないんじゃないのかなぁ~...と思うのです。)
バレットジャーナルをやってみて、ものすごく段取り上手になった気がしました。
よく、時間を有意義に使う人は『段取りよく物事をこなし、すき間時間の有効活用も上手にできる人』って言われますが、まさしく自分もそうなったかのような錯覚がありました。
。。。。そう、錯覚です。錯覚(* ̄∇ ̄)ノ
1ヶ月、1週間、明後日、明日、そして今日のこと。
先を見通して、するべきことや、やりたいことなどを逆算して予定を立てていく。
そうすることで時間の無駄を省き、家のことや仕事のこと、ブライベートの時間も余裕を持って過ごせるように・・・なった、と思っていたのですが(。>д<)
実際は.....段々こなしているうちに窮屈に感じるようになりました。
こう、なんというか、時間を管理しているつもりが、いつの間にか時間に管理されている感が否めなくなってきて。
時間に閉じ込められてるっていうか...枠の中に押し込められてしまってるっていうか。
「あれ?こんなはずではなかったぞ?」みたいな( ̄▽ ̄;)
すごくスマートに物事を進めていけてはいたのですが、ある時からプツン。。と途切れてしまいました。
結局、時間って自由なもの。
アレコレと計画を立ててこなしていくのも、もちろん素晴らしいことなのですが。。
今のわたしは無計画な毎日です(*≧艸≦*)
無計画っていうか、大きくざっくりとした目的はあるけれど、事細かい段取りは何もないって感じです。
ざっくりと先を見据えていれば、やるべきことはやるべき時にタイミングよくできるように巡ってくる感覚です。
それが、計画を綿密に立ててしまうと計画通りにばかり意識がいってタイミングも何もあったものじゃない、ということが分かりました。
わたしは仕事もしているので、ある程度の計画も大切なのですが、これもバレットジャーナルで管理をしすぎると余計に締め付けられて自由度が下がってしまい、仕事の時間のわりには出来高は反比例...みたいなことになってしまいました;;
今、バレットジャーナルを辞めて、いろんなことにざっくりとした計画しか立てなくなって、時間という枠を外すようになったら、逆に とてもいい感じに時間が流れるようになりました。
でも、こうなって思うことは.......
こうして、今 うまく時間が流れているのも一度はバレットジャーナルを経験したからじゃないのかな~?
あの綿密な毎日があったから、わたしの身体のどこかにそれが染み込んでいて、こうしてほぼ無計画になっても、わたしの身体のどこかが反応していて、ざっくりとした目的に進んでいく力になっているんじゃないかしらん?
なんてふうにも思うんです。だから、いい経験したなぁ~、いいことを知ったなぁ~♡とは思っています^^
ただ【時は金なり】っていうけれど、結局はその人それぞれの過ごしようだし、止めようがなくて流れているものだから。
時間の使い方は、その人の生き様で命の使い方で。
そして、創造していけるものだから...
だから【金】というよりは【芸術的】に思えたりもするのですが・・・。
限りある時間をどんな風に使うかは、結局 どんな風に生きていくか とイコールの関係なんじゃないのかな~?と思います。
だったら、わたしは計画性よりも、その時その時の感覚や気持ちを大切に、やりたいことや、やるべきこと、しなくてはいけないことのバランスを見ながら、創造的に暮らしていきたいなぁ~♡と。
【時は金なり】より【時って芸術的】そんなふうに感じています(*^▽^*)
時は金なり.....っていうけれど①
先日、手帳のことを書いてから、やっぱりまたまた手帳ジプシーになっているわたしです(*/ω\*) この記事を書いたときはホントに「楽しそうな手帳見つけたぁ~♪」って思ってたんです。
↑この手帳は“バレットジャーナル”って言います。詳しくは検索してもらえればすぐに出てきます。
まっ白なノート(方眼紙になってたら書きやすいみたい)に、自由に自分の書きたいことを書きたいようにカスタマイズして、ホントに何でも書いていい。
その懐の深さ(?)みたいなとこに惹かれて、数ヶ月書いてみました。
バレットジャーナルで検索してみると、それはそれはとても素敵に自作されている方々の写真付きブログやインスタグラムが見られて惚れ惚れ~♡してしまいますよ。
そして、何よりマンスリーやウィークリーを自分の書きやすいようにレイアウトして時間をうまく管理できるところが
、とても気に入りました。
市販のスケジュール手帳は、自分のスタート時間が違ったり、書く欄が狭かったり、一目でマンスリーもウィークリーも見たいのにペラペラとページを行ったり来たりしなければいけなかったりして、なんか不便(;・∀・)
そんな使いにくさも、バレットジャーナルは好きにカスタマイズ出きるんだから解消してくれるし。
いろんな予定や、やりたいこと・やらなければいけないこと、どんどん入れ込んでサクサクこなせる。
こなせていくのは「次は○○して、その後△△してから××する。」と段取りよく進めていけるから。
それはバレットジャーナルのおかげで、目に見えて自分の活動時間を管理できていたからです。
頭の中に予定や、やりたいこと、すき間時間にできそうなこと等を思い描いてるだけじゃあ忘れてしまうことも、チョコチョコ書けるのでありがたかったです。
そうしていろんな用事をこなしていく毎日は、まさしく【時は金なり】的な日々でした。
ムダがないというか。。効率よく回ってるというか。。
そして、自己管理にも役立ちましたね。
[習慣トラッカー]を作って、自分が習慣にしたいことや習慣にしていることをチェックしていって1ヶ月単位で振り返ると、自分がちゃんとしていることが目に見えるんです。
これはヨカッタですよ~。充実感があるし、キチンとできてる感が見えるからモチベーションアップにもつながりました。
~*~*~*~*~
でも、ね。
結局 続かなかったんです。
すごく段取りよく過ごしてたのに、あるときからプツン☆と何かが切れてしまいました。
時ってなんなの~?
効率って何よ~~~~~
段取り通りなんてオモシロクないわぁ~( ̄▽ ̄;)
って感じ出しちゃったんです。
バレットジャーナルは、すごくいい♡
それは、やってみたから分かるんだけど。
でも、わたしには合わなかったのね。
じゃあ、どんな変化があったのか・・・
長くなってきたので、続きはまた今度(*≧∀≦*)
少しずつしか書けないスローブログだけれど、これもまた、わたしなりの時間の使い方に はまってたりするんです。笑
おばあちゃんが還りました。
先日 16日になってすぐ、わたしの祖母が天国へ逝きました。
数えで100歳。長生きをしてくれましたが、いなくなったとは思えない感じです。
わたしは外孫だったので、そんなにしょっちゅう関わりがあったわけではありませんが、なんだかいてくれてて当たり前な感覚でした。
魂の世界へ還って行ったんだ。。と分かっていても涙が止まりませんでした。
でも、亡くなった祖母の姿を見て思ったのは
「やっぱり、この身体は借りものなんだなぁ」ということ。
おかしな表現かも知れないけれど、祖母の姿を見て
「入れものだけになってしまった」という感覚になりました。
生まれてくるときもひとりで、死んでいくときもひとり。
ホンマやなぁ~と。。
そして、富も名誉も何も彼の世には持って行けない。只々、徳だけを持って行けるんだなぁ。。と思いました。
おばあちゃんの口ぐせは「南無阿彌陀仏」でした。
わたしが子どもの頃、おばあちゃんのところへ泊まりに行くと、毎朝 東の(太陽の昇る)方を向いて拝んでいるおばあちゃんを見ました。
わたしも、見よう見真似で一緒に手を合わせていたのを覚えています。
お葬式の日、お寺さんも「○○して欲しいとか、こうなって欲しいとか、そんな欲はなくて、ただ自然に“南無阿彌陀仏”と口から出てくるおばあちゃんでした。」とおっしゃいました。
その通りのおばあちゃんでした。
おばあちゃんの静かに横たわる姿を見て、魂だけが還って行くのなら、わたしも キレイで美しい魂で還りたいと思いました。
生きていたらいろんな感情に振り回されたり、物質的なことに目がいってしまって頭でっかちになってしまったりすることが、わたしにはよくあります。
欲にかられてしまうこともある。
生きている以上、それはある程度 仕方ないことかも知れない。
それが悪いということではないけれど、なるべく心静かに穏やかに、いずれ わたしも魂の世界へ還るのだから、それはいつか分からないけれど決まってはいることだから。
此の世にいる人みぃ~んな遅かれ早かれ還っていく人ばかりで、それは、あがきようのないことなんだから。
それならば、特別なことなんてしなくても、此の世で只々笑顔でありがたく暮らしていこう、感謝して生きていこう、その時々の【今】を受け容れて大切に生きていこう、と思いました。
そうは言っても、いろ~んな感情に襲われることもあるんですけど。
それでも、今までより静かに自分のことを見つめられるような気がします。
おばあちゃん、ありがとう♡
おばあちゃんのおかげで、またたくさんの気づきがありました。
わたしも、この身体で楽しんでいきますね。
そして、身体の中にいる “わたし” が輝けるような生き方をしますね。
新年度が始まりました^^
今日から むすめの学校が始まりました。
長ぁ~い、長ぁ~い春休みも終わって、いよいよ高校2年生♡
早いなぁ~。。ほんこの間、受験が終わってホッとして、高校生になった~ヽ(*≧ω≦)ノって喜んでたと思うのに。
もう、今日から高校2年生だよ。
あ、早いって言えば...
このブログも、もうすぐ1年なんだって~!!←他人事⁉
だって。。これまた、ほん最近始めたばかりの感覚で。
記事数なんて1年で20チョット(;・∀・)
むすめが、わたしのブログを見てくれてて、指摘された時はビックリしたよ~☆
「え⁉ 1年???」
「何が??」
「・・・いつの間に?」って、浦島太郎の気分でした。笑
一応、今年はもう少し書きたいなぁ~と思っているんだけど。
と言いながらも、この記事も久しぶりなんだけど(^^;
いや、ホントはもっと早くにひとつは書く予定だったんだけど(前回の手帳のことの続きとか^^; )、むすめの春休みが長すぎて、ゆっくりひとりパソコンに向かう時間が取れなかったんです。
って、言いながら、コレも手帳の続きじゃないんだけど。
そのことに関しては、ちょっと他に思うことが出てきたので、改めて書きたいと思っています。
今日から、またひとりの時間が増えるので、少し更新率も上がるかな~♡
あ、最初の写真は、春休み中にむすめと近くの公園へお花見に行ったときのものです。
楽しそうな手帳、見ぃ~つけた♪
今日は、とても良いお天気♪
暖かくて動きやすいので、前々からやりたかったことをしたりしてスッキリ過ごしてます。
さて、2017年になって2月も半ばが過ぎました。
わたしは、ここ数年スケジュール帳ジプシーでして(^ー^;)
いつも新年に向けて、1月始まりの新しい手帳を用意するんですが、1カ月・2か月と経つと、どうもしっくりこなくて。なので、今度は新年度に向けた4月始まりの手帳を買います。
そして、それを使うのですが。やっぱりしっくりこない;;
そうこうするうちに書きとめておきたいことも出てくるし、予定も把握しておきたい。
気付いたことや、ふと出てきた言葉や素敵な言葉に触れたときも書いておきたい。
生活リズムや、自分の過ごした足あとみたいなのも残しておきたい。
やっぱり手帳は必要。だけど、もう買ってから月日も経ってるから白紙が目立って、今さら使いたくない。
それで、今度は普通のノートを用意して、いろいろ書き込むんですが、ただつらつら書くだけだから、まとまってないし読み返しにくいし…
じゃあ、自分で手帳を作ってみようか!って思って自作したこともあるんですが。
使いにくいと感じていた市販の手帳を自分仕様に改善して使えたら(*^▽^*)
なんて、わくわくして作ったんですが。
結果は、まとまらなくて見にくくて使いにくかっただけです;;;
だから、「自作はアカンねんなぁ~」とあきらめて、そして、次は9月始まりの手帳を買うんです( ̄ω ̄;)
もう、これでわたし一年間に何冊手帳買うの???
もったいないなぁ~とは思うし分かっているんだけど、自分の記録は残しておきたいし。
じゃあ、そうやん!!スマホでアプリを使って管理すればいいやん!!
って思いついて、いろいろ調べました。
今は、スケジュールはもちろん、日記もメモもひとつになってて「もう、ノートいらんやん。」ってくらい便利な機能がついてて無料。笑
かわいいスタンプとかもあるし、アナログよりよっぽど充実してるわ^^
と、自分好みのスケジュールアプリを見つけてインストールして使い始めました。
便利です。思いついた時に、さっとメモれるし、確認したかったらパッと見ることができる。
そして、自分の生活リズムを書きとめていくためには、また別のアプリを探してインストール。
うんうん、いい感じ♪……と思っていたのも束の間。
やっぱり、デジタルは味気ないなぁ~。。。って思ってきちゃったんです。
それに、管理したいこと別にアプリが違うから、自分の情報がバラバラしてて一目瞭然にいかない;;
ん~、ナンカ わたしの思うスタイルと違うねんなぁ~(-▽-;)
もちろん、便利は便利です。スケジュールも決まったら、すぐに書き込めるし。なんでも忘れる前にメモを取っておくことができるし。
だから、今も重宝して使ってます。
だけど、わたし^^出会っちゃったんです♡
わたしの思ってたスタイルに手帳をカスタマイズできる方法に。
え!?手づくりはあきらめたんじゃないのん?笑
そう、一度はあきらめましたが、その方法に出会ってから、作るのが楽しくて楽しくて^^
まだまだ進化途中ですが。次回は、その手帳について書いてみたいと思います。
今年になって辞めようと思っていること。② ~何かが書き変わった?~
先日、今年になってお酒を辞めようと思っていることを書きました。
あんなに飲んでいたお酒。
4~5年前までは、ほぼ毎日飲んでいて・・・そして、ここ数年は辞めたい気持ちがあっても、なかなか辞められなかったことを書きました。
人間って「辞めたい!」あるいは「やりたい!」って思ってもなかなか決心がつかなかったり、続けられなかったりするもの。
わたしの場合、そのひとつがお酒でした。
たしなむ程度に楽しめていたら「辞めたい」とまでも思わなかったのでしょうが、お酒で数々の失敗もしています(;∀;)
そのたびに「今度こそ辞めるぞ!!」と思うわけですが、【喉元過ぎれば何とやら】で、また性懲りもなく飲んでしまうんです。
ここ数年は、そんな感じで気持ちの中に「辞めたい」と「まぁえぇやん」が混在してました。
でも、それと同時に、少しずつ暮らし方には変化が見られていました。
ミニマリスト、断捨離、丁寧に暮らす..などのキーワードが、ちらちらとわたしの視界の中に入ってきて。よく分からないながらも、どこかでは意識をしたりもしていました。
また、食事に対する気持ちにも変化がありました。
お酒を毎日のように飲んでいたころは、外食、中食(お惣菜やお弁当など、テイクアウトして家で食べること)、宅配、等などでお腹を満たすことが多く、自然とおつまみ系のものばかりを好んでいました。
なので、まぁ平日は家で作ることもありましたが、土曜日・日曜日・祝日などは、ほとんど作らず・・・。そのため、食材を痛めてしまうことも、しばしばありました。
旦那さんの実家が農家さんなので、たくさんお野菜をもらったり、また、わたしの実家でも母が趣味で家庭菜園をしていましたので、これまたお野菜をくれたり。
そんな恵まれた環境にいたのに。いただいたお野菜を使い切ることもせず、下処理をして冷凍保存しとくとか、そういうこともしないで・・・ただただ痛んでいくお野菜さんがたくさんありました。
今、こうして書いていても猛省です;;
そんな暮らし方をしていたわたしですが、少しずつ少しずつ変化してきました。
自分の家にある食材に責任を持つようになりました。
外食、中食、宅配などは、ほとんど利用しなくなりました。
自分の身体の様子に目を向けて、身体の声に耳を傾けられるように少しずつなってきました。
そして、お酒も日数が減り、量が減ってきて、いい感じと思えるようにはなってきていたのですが、やっぱり最終は辞めたかったんです。
それでも、好きなものはなかなか辞めにくい。
いざ辞めようと思っても、いつも条件付き。
・友だちとならOK
・旅行や出かけた時はOK
・お家飲みも少しならOK
だから、いつも気づいたら、そんな条件もあったけ?みたいな(^ー^;)
振り出しに戻る、みたいな。
その繰り返し。。。
実は、今回も「辞めるぞ!」と決める前には、新年早々二日酔い・・・三日酔い?になってました。
もちろん、今までもこうして失敗しては「辞めるぞ!」と思いながら、辞められなかったわけですが。
今回は、少し自分の中で様子が違っていました。
今までは、「辞めるぞ!」と思っていても、どこかで条件を付けていました。
でも、今回は「もう辞めよう。」と、意気込むわけでもなく自然に自分の中から「飲むのはおしまい」という気持ちが出てきました。
何故だかは、自分でも分かりません。
でも、もう飲まなくなって3週間。
――えっ?まだ3週間???――ってな感じかもしれませんが、わたしにすればスゴイことなんです。笑
この3週間、「飲みたい。」と思ったことも1度もありません。
週末になったら出てくる「飲もうかな?」「いや辞めとこうか。」「ちょっとだけにしとく?」と、思考がうるさくなることもありません。
きっぱり決められてることに自分でもビックリです。
きっと、わたしの中で「お酒はおしまい。」になったんです。
飲んでいて好きだった雰囲気 や、あのほろ酔い加減の楽しさという記憶の上に、より強く「おしまい」という決心が上書きされたんだと思います。
飲んで楽しい、リラックスもできる、等など、その記憶に支配されているとき、きっと辞めることはできません。気持ちでは辞めたくても、記憶がしっかり残っているから。
そういえば、何かの雑誌で読みました。
【依存症になっているとき。辞めたいのに辞められないのは、脳がその時の快感を記憶しているからだ】と。
だから、いくら気持ちで「辞めないと!」と分かっていても、脳が快感を覚えている間は、日々努力していかなければ辞められない、と。
まさしく、わたしのお酒も、脳が快感を記憶してるかもなぁ~と思いながら立ち読みしてました。(待ち合わせ中のコンビニでの立ち読みでした。^^; )
その辺りから、「じゃあ、脳の記憶も、もっと丁寧に暮らして気持ちよく過ごせて、充実感溢れてきたら、お酒の快感の記憶が書き変わるんじゃないのかな~?」と漠然と思うようになっていたと思います。
そんなふうに少しずつ意識しているものが、お酒から離れ始めていた矢先。
今年に入って、久しぶりに外飲みの機会があって。楽しくて美味しくて、ついつい『飲み過ぎ注意』も忘れちゃって。
みんなで楽しく過ごして、気持ちよくさよならをして、家でも「楽しかったなぁ~♪」なんて余韻に浸れていたのに。。。
その日の夜中から、急に気持ち悪くなってきて、二日酔いが始まりました;;;
そして、しんどくて気持ち悪くて、気力も体力も奪われているさなかに、
「あぁ~、もうここが辞め時やな。」
と、突然心の中に言葉が浮かびました。
今までのように「うぅぅぅ~~~~、もう飲まへん;;もう辞める~!」みたいなのではなく、ただただ静かに「もう辞め時や。」と思ったんです。
その瞬間、脳が書き変わったんだと思います。
丁寧な暮らしや、心地いい環境を意識してきた数年間が、少しずつ少しずつ、わたしの内で、その暮らし方に快感を覚えていたんだとしたら。
そして、今年に入って、ますます朝活が充実してきて、暮らし方ひとつで、こんなに気持ち良く過ごせるんだと知り、それがまた快感になっていたんだとしたら。
きっと、お酒以上の快感を脳が記憶し始めていたのかもしれません。
その矢先、最近の暮らしにはなかった真逆の感覚に襲われて。
ある意味、中途半端にほろ酔いくらいだったら、たぶんまだ辞められてないと思います。
あれだけ苦しんだから(^▽^;) インパクト強くて、記憶が上書きされたのかもしれません。
脳は、突然の変化を嫌がる、受け入れにくい、という話も聞いたことありますから。
ここ数年の間に、少しずつ辞めることを意識していたのが良かったのかも。
その時は、「全然辞められへん!」「わたし、ダメダメやん::」って落ち込んだり、自分を責めたり、はたまた「なんで辞めやんなんのよ~!」って開き直ってたこともありましたが。
なんでも急には変われない。でも、意識していたら、そのうちこんな時がくるんですね。
まだ、飲まなくなって3週間です。だから説得力がないかもしれませんが・・・(^^;)
今は、とてもすがすがしいです。
ここまでくるのに随分時間がかかりました。何年単位でかかりましたし、もうキケンやぁ~ん (´△`;) の一歩手前?片足突っ込んでる?まで思ってましたが。(苦笑)
今は決められて、すっきりして、その方が快感に感じられます。
そんなこんなで今年は、お酒を辞めて、ますます充実した暮らしをしていこうと思っています。
あっ、母に「辞めることを決めた」と報告したら喜んでましたね。
そして、「えらいえらい」と褒めてくれました。笑
今まで、辞めようと思っても誰にも言ってませんでした。←ここに、“きっと辞められへん”感が表れてますね( *´艸`)
今回は、すぐに報告しましたから。
そして、褒めてもらって♡
単純に嬉しいです。45歳やけど。。笑
今年になって辞めようと思っていること。
日の過ぎるのは早いもので、1月に入って、もう今日は20日です。
1カ月の3分の2が過ぎます。ホンマに早い(*▽*)
今日は、新しい年になって【辞めよう】と決めたことを書きたいと思います。
* * * * * * * * * * *
だいたい、新年を迎えるにあたり、決めることって【新しくやりたいこと】だったりするんじゃないでしょうか?
わたしも、例外ではなく【2017年 やりたいことリスト】なんてものをノートに秘かに書いている一人です。。。って言っても、別に内緒な話でもなんでもないんですけどね。
また、こちらの方は改めて記事にしたいと思います。(するかなぁ~?…オイオイ 笑)
でも、今日は、やりたいことではなくて、わたしが辞めようと決めたお話。
今年から辞めるぞ!!って決めたこと。
それは ❝お酒❞です。禁酒?断酒?どういうのかは分からないけれど。
とにかく、今年からはお酒を飲まないで過ごそうと決めました。
実は、お酒に関しては前々から「辞めたいなぁ~」とは思っていたんです。
わたし、お酒を飲むのは好き♪・・・というか、お酒が好きなのか、あの飲んでいるときの雰囲気が好きなのか、それとも、飲んでいると、こうなんとも言えないふんわり感が好きなのか。。。←いや、コレただの酔っ払いやん( ̄▽ ̄;)
とにかく、お酒はよく飲んでました。
4~5年くらい前までだったら、毎日飲んでたんじゃないかなぁ~?
ビール以外なら、だいたいは飲みます。金曜日とか土曜日、ようするに休日の前日になると、お酒が進んじゃって進んじゃって。。時間をかけて、ずっと飲んでました。
で、毎日飲むからか、お酒の量も自然に増えてきてました。
ワインとか、ブランデーとか、強いお酒もぐいぐいと平気で(^△^;)
でも、そんな身体がいつまでも続くわけなく。
いつの頃からか、すぐ酔ってしまう。若いころに飲めてた量を飲むと、次の日にひびく。だらだらだらだら飲んでしまう。などなど、いろんなことが重なってきました。
そこへもって、実家の母が(わたしの身体を心配してくれて)ヤイヤイ言うんです。
「お酒は、身体に悪いんよ!」
「百害あって一理なしやで!!」
「身体を壊してからでは遅いんやで!!!」
「後悔先に立たずって言うやろ!!!!」等など。。。。
でも、辞められない。あの、飲んでいるときの楽しい雰囲気とか、ほろ酔いのいい感じとか、「辞めてしもたら寂しいや~ん(;∀;)」って思ってしまって。
だから、今まで作ってなかった休肝日を設けて、「よし!これで大丈夫。」って思ったり、その休肝日を1カ月に1回だったのを、2回、3回に増やしていって、「もう、大丈夫!!」って思ったり。・・・何が "大丈夫"なんでしょうかね(T_T)
で、これまたおかしなもので、休肝日を設けているという安心感からか、「今日は飲むぞ♪」な日には、これまたたくさん飲んでしまうんです。
それの繰り返しが、数年続きました。
もう、こうなったら自分、アル中なんちがう???って、頭をよぎったこともありました。どこかで辞めたいとも思っているのに、辞められない。
「よし、今月だけ辞めてみよう。」って挑戦して辞められたときもあったんです。
でも、また例の「長い休肝日を実行したから、また少し飲んでもいいよね。」的な、変な安心感が顔を出してきて・・・同じパターンの繰り返し。
――別に、どこか身体を壊しているわけでもないのに、なんでこんなに「辞めやんなん」って思わんなあかんの?だいたい身体に悪いとか思ってる意識の方が身体に悪いんちがうか~。お母さんが「悪い、悪い。」っていうから逆に変な暗示に掛かってしまうわ。別に辞めてしまわんでもええやん。減らしてるんやからええやん。――
――●●さんに比べたら、わたしなんてだいぶ減ってきてる方やで。少ない方や。――
って、もうここまできたら、ホンマ辞められへんのを人のせいにしたり、●●さんとわたしとでは根本的に身体が全然違うのに、何を比べたいんだか。。。たち悪いですね。
そして、そんなふうに思っていると、休日の前日になると「飲もうか?飲まんとこうか?」「どうしようか?ちょっとだけ飲もうか?」とかって、頭の中で思考がうるさくなってくるんです。そして、飲む口実を自分に考えたり、言い訳を作ったり(全部、自分に対して)。
もう、こうなったらホンマに片足つっこんでますね。キケンや(>_<)
それが、昨年あたりから、自然にグッと飲む日数が減ってきました。
あんなに切っても切れなかったお酒の頻度が減ってきたんです。
* * * * * * * * * *
ちょっと長くなってきたので、ここでいったん切ります。
まさか2回に渡ってしまうとは。。そんな大そうな話でもないんですが。
やっぱり、まだまだ打つのに時間がかかるので疲れてしまいます。
自分ペースでぼちぼちしたいので(^-^)
ではまた!